2017/10/04

『現代語訳・徒然草』/吉田兼好(佐藤春夫:訳)《感想》「破き捨てるつもりのものだから、人が見るはずもあるまい」な昔のエッセイ。



言いつづけてくると、すべて、源氏物語や枕草子などで陳腐になってはいるけれど、同じことだから言い出さないという気にもならない。
思うところは言ってしまわないと気もちが悪いから、筆にまかせた。
つまらぬ遊びごとで破き捨てるつもりのものだから、人が見るはずもあるまい。
(徒然草 一九)



あらすじ&オススメポイント

言わずと知れた鎌倉時代に生きた人の、(破き捨てるつもりの)エッセイ。

作品キーワード

鎌倉時代/随筆/エッセイ/





感想とネタバレ

人が見るはずもあるまい。 というご本人の意思とはうらはらに、約八百年のあいだにどれだけの人間がこの著書を読んでいるのだろう……という部分が個人的に読んでしまって申し訳ないと思いつつも皮肉めいていて面白いので引用してみました。

なにぶん古典の分類なので、教科書で馴染みがあるとは言え、読む前から肩ひじ張ってしまいますが、実は読んでいくと現代人と同じような暮らしぶりで生きていたのだなと思うことも多く、原文ではなく「訳文」なのでとても読みやすいです。

そして、吉田兼好の人生観が端々にあるので、全てを共感することはできなくても、今を生きづらいな、とちょっと思ったときにああ、こういう風な考え方があるのだなと生きるポイントが書いてあります。

教科書では冒頭部分しか学びませんでしたので、ネットで、一一六の「名前の付け方」のお話に触れたときはびっくりしたことを覚えています。 自分はこれを知ったときに、吉田兼好(徒然草)の存在がただの教科書での暗記必修科目ではなくなりました(笑)

やはり年を取ると若い世代の考えることに疑問を感じたりするのも、世の常なのかもしれません。 (言っていることは当たり前のことですが……)